屋上がえりを読む。ある書評で重松清さんがこの本について「わたし」の不在が生む心地よさがあると語っていた。開かれた物語に吸い込まれる心地よさ。石田さんの目は私の目になり、見たこともない世界を見る。読み進めていくうちに既視感のようなものを味わうのはおそらくそのせいだろうな。
夜勤明けの顔というのは見てすぐにわかる。重そうなまぶたを見ていると、気づいてにやっと笑う口元。ふだん連絡をとっていないのに「この」ころあいに会いにくる、その勘のよさにほとほと感心させられる。時間をともに過ごしているというただそれだけでうれしい。本を読んで話して時間が来たからさようなら、一定の動作をくり返してあの人は自分のテリトリーに帰る。名残惜しさを見せないようにするのがせめてもの抵抗だけれど、隠し通すことができるほど私は大人ではなく。未来に向かってした小さな約束をよりどころにして、これからを過ごす。
FUTURE SHOCKING PINKNIGHT PEOPLEをリピート、リピート。リトル・クリーチャーズの仕事に弱い。なんたって気持ちいいので。