月曜日の朝はそわそわして早起きしてしまう。朝一で怒られて、もういやーと思ったのだけど、休みのあいだ黙っていてくれたのだからそれだけでありがたいね!という気分になる。都合よく解釈するとはこのこと。外の空気は夏みたいで、プールに飛び込みたいと思いながら荷物抱えてアスファルトの上を歩く。
この土日は大学の先輩の結婚お祝いイベントにいった。3年ぶりくらいに部活の先輩方に会えて、すごくうれしかった。それぞれ属してる世界が違って、それなりに姿や考え方は変わっているものの、一緒にいる空気は部活!って感じで久しぶりに夜中までしゃべってた。新郎新婦は幸せの塊みたいにほわほわして見えた。結婚式はした方がええ、と色んな人がいっているのを聞いたけれど、初めてそやなぁと思った。

夜、幼なじみとごはんにいく。この幼なじみがほんまの幼なじみ、というか実家が隣同士の同い年の男の子で、隣に住んでるだけにちゃんと会おうってこともなく10年くらい経っていたのだった。幼なじみは職人になっていて、包丁研ぎが楽しすぎてたまらんそうで、好きな仕事やけれど不安定やわーといっていた。私は私で、今の会社におってええんか挑戦したほうがええんかって迷っているし、結局ないものねだりやなーという結論に至る。
さいころの記憶は鮮明で、幼なじみの家のコンクリートにチョークで書いたけん・けん・ぱ、や、魚屋さんにもらったイカの軟骨を川に流して、それがキラキラしてきれいでずっと追っかけてったことを今でも覚えてる。記憶がないころからの知り合いなので、話しているうちに3歳くらいの記憶が引き出されて奇妙なかんじだった。
ただ、二人の間で一致したのは「とにかく、のび太の恐竜を見ていた」ということで、何十回とビデオを見すぎてついにはテープがすり切れたのだった。はたして、テープがすり切れるという経験は私のこどもとなる世代に理解されるのだろうか、と思う。私は今でもピー助ー、ぴょぉーいという声まねがとても上手です。あんま通じないけど。 

前日久しぶりにカラオケにいく。誘ってくれた友人はストレスがたまっている様子だったので、遠慮しなさんなホラホラと山嵐ロッキンポ殺し→鉄風 鋭くなって、を立て続けに入れた。すっきりした顔になったのでよかった。
今日は昼頃動き出して、雨やー頭痛いーとか思いつつ出かける。親子丼を食べにいき、ホームセンターで土を買い、図書館→本屋→心斎橋のSixで中平卓馬「キリカエ」を見て帰宅。中平の展示は紙のぺらっと感、傾いで寄った画面とか石とかがよかった。期間内に更新される展示だったらしく、もうちょい早く来ておけばなーと思う。ベランダでバジルの植え替えをしながら、この人ら梅雨になってぐっと伸びたと気づく。

昨日お風呂で『朝ごはんの空気を見つけにいく』を読みハラヘリになっていたので、パン屋とスーパーへ買い出しにいく。バゲット、トマトサラダ、チーズ×蜂蜜、でコーヒーいれて頭のなかがほどける感じ。ごろりとしたのち四天王寺の市へいく。物、物、物!に圧倒されてフラフラになりながら帰宅。
昨日半分まで見ていたバッドエデュケーションを見て、色々かなわんなーと思う。あと美しい人は何をしても美しい。ほんで抱擁のかけらを見る。アルモドバルの映画を見るといつも失われたもののことを考え、家族のことを思う。

朝から天気がよくて洗濯機を二回まわした。リネンのシーツがペーンと乾いた。一昨日は仕事終わってブラックスワンを見に行き、恐怖におびえイテテとなり、昨日は夕方ROVOを見に行って脳内からいけない物質が出た感じになった。今日は髪を切りにいって、前髪だいぶ眉上カットかつクリンとパーマをかけてもらい、スーツ似合わんなあと悩みつつこれが私やわーとか思う。
そのあとスタンダードブックストアにいって家のやつのBRUTUSと『ぽかん』などミニコミを買い、図書館にいって大島弓子たそがれは逢魔の時間―大島弓子短編集 2 (小学館叢書)町田康のエッセイなどを借りる。実家にいるときスピンク日記を買ったのだけれど、母がえらく気に入ってしまって置いて帰ったのだった。スピンクの生写真があったら買いそうなくらいに気に入っていた。
そういえば金曜に帰社してパソコンをONしたところハードがおかしなったみたいで立ち上がらず、うわっと思ったのだけれど、おかげで土日は仕事のことを考えず遊びまわったので気持ちはプラマイゼロ。明日は月曜だ。どこからか聞こえる男女の会話、食器が触れる音、クラクション、誰かの生活。休日の夜はとても静かに過ぎてく。

帰ってきた新大阪は相も変わらず人であふれ、連休が終わる前のひとにぎわいといった様子だった。地元の駅で両親と別れ、弟は左へ私は右へバイバーイと別れて新幹線さくらに乗った。福岡に住む弟こそさくらに乗ればよかったが、寝過ごすのがおそろしいといってのぞみに乗った。この連休は関西−四国のあいだをうろうろしていたのだけれど、それが今の私にはすこぶるよい時間になったようで、さながら命の洗濯のよう(てこういう気分のときに使うのかーというくらい晴れやかな日々)だった。
普段だってなにが忙しいというわけでもないけれど、連休前の一週間は疲れすぎてお風呂に入る間もなく寝る→早朝目覚めて後悔→お風呂→出勤というひどい生活を送っていて、もういややーと思った。ところが連休にはいってからというもの、人と会う以外は寝転がって本読んでコーヒー飲んでごはん作って、お風呂入って映画見てサイダー飲んで寝る、といったまったくもう公にはできないような暮らしをしていたところ、ぐんぐん健康になり肌荒れも治り体重も減り、なにかを書こうという気持ちにもなったのでびっくり。
というわけで今日も今日とて家で「息もできない」を見、もう悲しすぎておなかが痛くなって、そのうえレイトで「ブルーバレンタイン」を見に行き、愛ってなんなのーとなってさらに胸をえぐられるような気分になる。帰りみち、心斎橋のティファニーのショーウィンドウには祝福をうける恋人たち、エンゲージリング、TRUE LOVE GROWS、といったディスプレイが施されている。来月は先輩の結婚式やーなに着ていこうって考えて、あのふたりはTRUE LOVEっぽいわーと思い、きーみーだけをしんじーてーって藤井フミヤの歌を脳内で流しながら帰った。

10連休ですかいいですねー、でも半分の今日で持て余してるんですけどねーと、ごはんやさんでカウンター越しに。実家に帰る途中、久々に以前住んでたとこにいった。好きだった映画館でその時間にやってた「まほろ駅前多田便利軒」を見る。猫背の男の人は色っぽいなーとかタバコ吸いまくってて気持ちいいくらいだなーとか思う。映画館の支配人は少し痩せた気がした。駅前はいやにきれいになっていて、お店もできたりなくなったりしていた。そのあと久々会った知り合いとごはんを食べて、色々変わったんだろうけどその根っこの変わらなさに気持ちがやわらぐ。
電車で彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄を読みつつ帰省。変わってる人間の変わらなさについての話やなーと思ってるんだけれど、主人公が10年が経ったのだねって思い出す『バラ色の雲』のくだりがとても好き。劇的な人生なんてなくても一瞬、確実に存在した何かあるいはひとときのことを思うことで人は進んでくのかなーとかセンチメンタル・ジャーニーになりかけるところだったけど、最近おセンチて言わんなーおセンチて語感めっちゃ好きなんやけどなーと考えていたら駅についた。帰ったら犬も家族も元気でなにより。大島弓子強化月間なので、寝る前に秋日子かく語りき (単行本コミックス)を読んだ。人生について考えて寝づらかったはずが気づけばぐっすり寝て朝。